それは、1本の電話(なんと8回ものリダイヤル。)から始まった。
内容としては、へその緒つきの子猫2匹を一度
軍手で保護して、病院が見つからなかったので、
再度同じ場所においてきた、とのこと。
それが、夕方。
電話は8時過ぎから掛かってきていた。
電話の理由は、こういったことの「段取り」を教えてほしいとのこと。
(話の流れで、「猫を放つ団体」と呼ばれ、それもすぐに否定したよ。)
すぐに保護してくれと頼むと
「私が?」と投げかけられた。
何もしないつもりか。
そもそも、生まれたばかりの子猫、
数分の冷えが命取りになるであろう子猫。
この季節の夜、ママ猫がいないのだったら、もう冷え切っているだろうに。
いや、それよりも、そこに猫がいないのに、
どんな段取りが組めるのか?マジか?
状況おかしすぎるし。
いろいろ突っ込みどころ満載なお話。
けど、結局、あるのは、
人間が子猫の生きる可能性を
(また)阻んだ、という事実だ。
(厳しいようですが、ですがほんとに。)
なぜ一度拾った、へその緒もついている子猫2匹を
元(?)の場所に捨てた(その子の言葉を借りると、戻した?)のか?
母猫が子猫を自分で生んで驚いて逃げたと勝手に判断して。
(この判断も集まった学生4人の一人がそう言ったそうで。
かなり独断的なアイディア。ちょっと知っている、というのがネックだった。)
そういう理由で一度保護したというなら、ママ猫が迎えにくるわけもなく
元に戻す=それはとりもなおさず生まれたばかりの子猫にとって「死」を意味することだと
なぜ気づかなかったのか、その学生さんたち?(むしろ良かれと思ったそうで。)
しかも、その直後でもなく、何時間も後に、
ねこ子に電話をしてきたのは、なぜ?
しかもしかも(相手の)電池切れで切れてから
2度と電話がつながることもなかった!のはなぜ?
(正直、お電話したら切れた。何度か、かけてもあえて切った、と理解している。)
すぐに電話くれれば、休日でもやっている獣医さんでも
ご紹介できたのに。
いろいろ謎だったけど、
とにかく切れてる暇はない。
捜しに行った。が、見つからない。
今の人がどれだけ生命のことわかってないか、
知っているつもりだったけど、
これはあまりにひどい。
誤解を恐れず言うなら、
学生さんたち、むしろ猫さんを触らず放っておいてくれた方が、
生き残る望み、少しはあったかも。
(ママ猫さんは、学生さんに驚いて潜んでいたかもしれない。
いなくなれば、子猫に近寄る。・・・人のニオイさえしなければ。)
むしろ死なせた。
学生さんのちょっとした親切心、
ちょっとした正義感・ちょっとした自己満足(すみません)が
子猫を殺した。
(ねこ子的に、その学生さんたちの善意、わからなくもないのですが
「死」の前には、それはあまりにも無意味になってしまう。)
ちょっとした・・・が中途半端なものでなく
やり遂げるだけの意志があれば、それはすばらしいことだった。
だか、途中やみになる程度のもなら、
それはプラスにさえならず、完全なるマイナスでしかない。
小さな命は、おそらくもう・・・。
それでも、捜し続けるしかない。
毎年1~2件ある、
神経をジリジリと痛めつける感じの連絡。
「猫を見つけたけど、どうすればいいのか。」
自分は、保護もできない、預かりもできない、募集もできない。(おいおいっ)
自分でやってもみないうちから、誰かにすべてをやってもらおうとする。
(こういうときは時間をかけてお話して、できることをしてもらいます。
でも今回は、話をまったく聞いてくれなかった。まさに自己中電話だった。)
そして。
・・・少なくとも、保護してくれないと、
こちらにできること、なかなか少ない。
本当に少ない・・・ということ、わかってほしい。
もっと、頭を働かせて。
子猫が、自分たちのせいで死んだこと、
電話の主は数日心痛めて、
その後(割と簡単に)忘れることができるだろう。
私は忘れない。
忘れられない。
こどもの日を迎えることなく
ひっそりと、生まれて数刻であちらに渡った子猫たちを。
-- 続きを閉じる --